戦争ドキュメンタリーを見て 20200831

夏になると戦争のドキュメンタリーや体験者による報告番組が放送されることが多い。今年はコロナのせいで自宅待機も多く、いくつも見ることができた。

見た後で、いつも残るのは何となく割り切れない気分である。それは後ろめたさのようでもあり、もどかしさのようなものでもある。

思うに、ドキュメンタリーが訴えてくれているのは、言うまでもなく、戦争がいけないというメッセージであるが、それに加えて考えさせられるのは、何をしていけばよいのかということである。

私も含めて、ほとんどの人が小市民の一人である。その立場からは、道徳律のように「戦争はいけない」というメッセージを胸にきざむことはできても、だから何をすべきということには結びつきにくいのだ。

戦争は絶対にあってはならないということ、そこ止まりでドキュメンタリーは終わる。当然だろう。それがドキュメンタリーの特徴のようなものである。それを受け止めて、さあどうするということは視聴者それぞれにゆだねられているのだと、とりあえず考えておきたい。また、こんなご時世だから、ドキュメンタリー番組で平和への具体的な行動のあり方を訴えたのでは、放送そのものができなくなる可能性もあるかもしれない。

ところで、歴史を振り返るには、振り返る視点と立ち位置が問われる。そして、歴史の中で起こった事実を正確に把握するために、何が原因となってそのようなことになったのかを正しくとらえる必要があると思う。戦争のドキュメンタリーはそのような振り返りよりも、悲惨さや悲しさを伝えるものが多いが、戦争責任の話はあまり明確でないものも多いと思う。しかし、ドキュメンタリーは視聴者が自分で考えはじめることへと判断をゆだねているのだとも思う。

原爆の記録をドキュメンタリー番組で見ると、こんなことをしでかしたアメリカに対して日本人はどう考えるのかという問いはほとんどない。因果関係を辿っていけば、太平洋戦争勃発の口火を切った日本側の責任へと話はつながることもある。誰を責めるでもなく、ただ戦争は絶対にやってはいけないというメッセージだけが語られる。

だがこうなると、原因は見えにくい。また、教訓を踏まえてどうあるべきかということになると、何をすれば良いのかが見えにくい。「戦争はいけない」ということはわかってはいても、だから、もどかしい。そして、割り切れないものを感じてしまうのだ。

そして、今後のアジアの中での日本がどうあるべきかということについても、非常にとらえにくい状況が生まれていると思う。     (堀 剛)


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