蔵書処分と思想の整理、あるいは自分探しへと・・20200723

 最近、多くの哲学書やキリスト教関係書を数百冊ほど古書店に引き取ってもら った。ヒプノワーク心理療法室を難波から堺市へ移転する際に、どうしても蔵書を処分せざるをえなくなったからである。

 心理学書、哲学書、キリスト教書、聖書注解書などがあったが、特にキリスト教書と哲学書を処分した。聖書の注解書をはじめ、 滝沢克己とか田川健三なども片っ端から売り払らった。哲学書については、解説書や研究書の類いを売り払った。ヴィトゲンシュタインやキェルケゴールに関する値の張った研究書もたくさん含まれていたと思う。

 だが、哲学者自身が執筆したもの、ヘーゲルなら『精神現象学』、カントならば『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』など、哲学者自身が書いたもの(もちろんほとんどが日本語訳でしかないが)は、手元に残すようにした。このような選別には深い理由がある。私にとって人生の時間はそれほど悠長なものではないと自覚したことによる。自分にとって重要なのは、自分の思考の道筋をつけていくことであり、脇道にも逸れかねないような哲学者の哲学をテツガクするというような解説的研究につきあっている暇はもうないと思うようになった。更に、引っ越しにともなって整理を進めなければどうしようもないと判断したからである。そう言えば、吉本隆明の全集も二束三文であった。滝沢克己も同様だ。自分としても、価値はそんなものだと思えたので、抵抗なく言い値で持って帰ってもらった。

 そういえば、ヴィトゲンシュタインがどこかで書いていた。ヴィトゲンシュタインが考えたことと同じようなことを考えた哲学者がかつて存在したかもしれないが、それは彼にとってはどうでもいいことであり、一切関係がないと。
 私が研究書を手放したのも同じことである。哲学者自身が語っている言葉は学んで行きたい。だが、その哲学者について哲学している哲学書というようなものは、いわば参考書のようなものである。もう人生にそんなものまで読んでいる余裕はない。哲学者の人物研究のようなものも、読んでおもしろいとしても深入りする暇はない。

 昔、キェルケゴールの歴史的研究方法というものがデンマークの研究者によって提唱された。1970年頃に日本でも大流行であった。彼の生涯を研究する人物研究が日本でも進められた。しかし今になって考えてみると、キェルケゴールがどんな人だったとか、コペンハーゲンのどこで倒れたかとか、レギーネ・オルセンはどんな女性だったかというようなネタは、それなりに何かを研究しているかのようでありながら、哲学をDoingすることとは違うような気がする。


 キェルケゴールは日記の中で、やがて世界中の学者が私の日記までくまなく調べて研究する日が来るであろう、と書いていた。別の箇所では、彼の婚約破棄の話を読み解く者こそ「私の思想の鍵を解く者である」と書いていたと思う。だが、そこまでキェルケゴールにつきあおうとも思わない。キェルケゴールにせよ、ヴィトゲンシュタインにせよ、私の導き手であったと思うが、彼らの哲学の文脈の中に私が入り浸ったのではなく、私自身の私的でちっぽけな文脈の中で、彼らの思想が道案内となったとは思う。

 ついでに言えば、私は人物研究は嫌いだ。人物研究などは大学教員が誰某の研究者とか、専門家とか名乗るには便利だろうが、それがどうしたとしか思えない。
 哲学をするということ、Doing philosophyなのであって、究極的には(私の好きなキェルケゴールやヴィトゲンシュタインも含めて)世界の誰が何を言おうが、最後は私は何を考えるかということに集約されることでしかない。要するに自分がどう思うか、どう考えるかということが哲学をするということだ。

 人は誰でも、明日にでも命が終わるかもしれないという可能性の中を生きている。もし、本当に終わりが到来したとする。その時、いや待ってくれ、私はまだ図書館の本を全部読み切ってはいないと叫んだとしよう。あるいは世界中の本をまだ読み終えていないとでも言ったとする。しかし、死は待ってくれない。自分から死をたぐり寄せるようなことは、絶対するべきではないと思うが、死の方から襲いかかってくることだってある。

 哲学=フィロソフィアとは知への愛であるが、覚えたこととしての知識の羅列とは異なる。だから、誰が何を言ったかを覚えていることを披露するのが哲学ではないことは言うまでもない。また、他人の思想の世話になった(影響を受けた)としても、居候はほどほどでなければならない。やがては自分で自分のけりをつける時が来る。そんなことを考えながら、多くの蔵書を整理したのである。  (堀 剛)


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