宗教と心理変容     20200519

(先ほど、「隠れキリシタンの里を訪ねて」という文章を「論稿」の中に追加しました。宜しければお読みください。)

隠れキリシタンの宗教には、ユング心理学などで言う心理変容の世界があったのだと思う。

芸術においても、音楽においても、いわば陶酔の世界が存在する。例えば、祭りだってそうだろうし、盆踊りなどは、死者の霊が戻ってくるお盆に行うのであるから、踊りながら陶酔し、交霊することが原点として存在したのではないかと思う。

私は踊るのは苦手だし、へたくそである。だから、踊ろうとは思わないが、盆踊りが好きな人に言わせると、手のひらの動かしかたが非日常的であり、次第に陶酔してしまうという。

ところで、心理変容を重視するのは宗教では、個々の信者がそれぞれ思い思いの陶酔や神との合一を体験するということかもしれない。宗教におけるこのような面は極めてアナーキーな状態であると思う。

これに対して、カトリック教会などが代表例だと思うが、神との対話役は神父がいる。信者と神をつなぐのは神父である。それは組織としてはうまい考え方である。個々の信者がアナーキーに神的体験などしようものなら、組織統制などあったものではない。だからかどうかは定かとは言えないにしろ、神父がいることで組織形態が出来上がる。

個々それぞれに信者は神とつながる心理変容をするのだとすれば、教会も神父もいらないことになる。個人的にはこちらが自分の好みでもある。心理変容を唱える宗教は神秘主義的だし、アナーキーだと思う。

そして、心理変容のない宗教はつまらない。


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