「PCR検査を普及してください。」 

4月16日付で某新聞社の投稿欄に次のような記事を投稿した。こんなことをしたのは生まれて初めてであった。別に投稿が趣味でもないし、どちらかと言えば、新聞社の意図で投稿原稿が取捨選択されるというようなシステムを信用しているというのでもない。しかし、どうしても言いたかった。なぜPCR検査が行われないのか。投稿はボツを喰らったが、それでも言いたい。


タイトル「PCR検査を普及してください。」

安倍首相は他人にコロナをうつさないという意識を持てと発言された。だが、感染しているかどうかわからないで何を自覚できるというのか。感染していない人どうしが離れても意味がない。感染者を発見し、より早く治療すべきだ。それは経路を絶つための一番の方策ではないのか。PCR検査をなぜ普及させないのか。一方、行政による休業補償も検討されているが、補償期間、回数の話はほとんど聞かない。コロナ収束時期が何時のことか誰にもわからないからだろう。だが、経済活動の停止はどこまで可能なのか。国家や行政の財源を考えると、その期間の限界があるはずだ。だからこそ、その範囲内でコロナが収束されねばならないのだとすれば、効率の良い方策が実施されるべきだ。
その一つとしてPCR検査を普及すべきだ。一億総PCR検査くらいの勢いがあれば、封じ込めることができるはずだ。その財源は期限の見えない社会の機能停止策より安くつくのではないのか。
草刈りでは根を刈るように、PCR検査の普及による感染者の発見と治療によって、感染者を救い、社会的な安堵も取り戻せるだろう。是非ともPCR検査の実施を進めてもらいたい。」


以上が投稿した内容だった。時系列では、3月28日に安部首相は「感染のつながりが見えなければ、その背景にどれぐらいの規模の感染者が存在しているのか知ることができません。そして、制御できない感染の連鎖が生じれば、どこかで爆発的な感染拡大が発生しかねません。」と述べていた(内閣府HP参照)。この時点ではPCR検査の実施を推し進めるというような話はどこにもなかった。

その後、4月7日安部首相は述べた。「ゴールデンウイークが終わる5月6日までの1か月に限定して、7割から8割削減を目指し、外出自粛をお願いいたします。繰り返しになりますが、この緊急事態を1か月で脱出するためには、人と人との接触を7割から8割削減することが前提です。・・・・
既に自分は感染者かもしれないという意識を、特に若い皆さんを中心に全ての皆さんに持っていただきたい。外出する際にも、人混みを避け、他の人との距離を保つ、飛沫(まつ)を飛ばさないようにマスクを着けるなどの行動をお願いいたします。そのことが他の人の命を守ることになります。そして、ひいては自分の命を守ることになります。国民の皆様の御協力をお願いいたします。

どういうことなのか?首をかしげた人は私以外にも多くおられただろうか。PCR検査をすることで、医師がコロナ感染の診断を確定させるはずだ。それなのに、検査も普及できていない状況の中で「自分は感染者かもしれないという意識を、特に若い皆さんを中心に全ての皆さんに持っていただきたい。」というのはどういうことなのだろう。せめて3月中旬にWHOがPCR検査の必要性を表明した直後に、とにかくこの検査を推し進めていれば、もっと感染の拡大は抑えることができたのではないのか。

3月24日にオリンピックの延期が正式に決定されたが、まさかPCR検査を実施すれば、オリンピック開催延期の判断を客観的にせざるを得なくなることを恐れたのかと考えるのは邪推だろうか。

4月17日には「国民の皆様を対象に、一律に1人当たり10万円の給付を行うことを決断いたしました。・・・・中小法人は200万円、フリーランスを含む個人事業者の皆さんには100万円を上限に、国として現金給付を行ってまいります。」との話となったが、この時点でもPCR検査のことを安部首相は述べていない(https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/index.html)。

マスコミが専門家や知識人の口を通してPCR検査の必要性を訴えだしたは、ちょうど10万円給付の決定直後くらいである。もっとも、PCR検査に加えて抗体検査の話も報じられるようになったが、マスコミはこれらの検査の精度などを持ち出しては、まるで国が検査を実施しなかったのにはワケがあるとでも言わんばかりである。

そして、5月5日にはいやいよ専門家が強く訴えるようになる。「PCR検査の不十分な体制は日本の恥」「惨憺(さんたん)たる状況」と山梨大の島田真路(しんじ)学長(68)は、日本の現状を強く批判し、検査拡充の必要性を直言された( https://www.asahi.com/articles/ASN555QVWN54UTIL02Q.html)

まあ、政治のことなど諦めている人も多いのか、それとも、安部首相の言う「マスクを着けるなどの行動をお願いいたします。そのことが他の人の命を守ることになります。そして、ひいては自分の命を守ることになります。国民の皆様の御協力をお願いいたします。」という言葉を素直に受け入れておられるということか。しかし、根本的におかしすぎる。どうして自分がマスクをつけるのが「他の人の命を守る」ことになるのか。要するに自分で自分が感染者かもしれないとというような心配をしたならば、ますますもって検査を受けたくなるのが普通だろう。

多くの人に感染しているかどうかを調べることは、感染した人を救うことになるし、社会をも救うことになる。感染の思い込みを国民全体が持たざるを得なくなったのは、いまだに検査が普及されていないことによる。

検査の欠点や弱点はあるのだろう。しかし、調べることによってしか、誰も自分が感染者でないということもわからない。そして、既存の検査以上の検査がないのであれば、いまはそれらの検査の実施を進めてもらいたい。また、ひょっとすれば、これは国民が医療を受ける権利として論じることもできるだろう。

たとえば、人との接触を避けられない業種は多い。そのような仕事をする人は自分こそ検査を受けておきたいと考えざるをえないだろう。あるいは、妊婦や高齢者施設で働く人々も同じだろう。

「密です」とか「3密」とか言っている政治家に、私はどうしても疑問を感じざるをえない。健康な人が「密」になっても問題がないはずだ。くどくて申し訳ないが、感染者への「密」が問題なのであって、非感染者の「密」はこれから解放する方向を見いだしてもらいたい。

現状では、どこに感染経路があるやも知れないほど感染が広がっている。だからマスクを配ったのだろう。(本日5月7日時点でもマスクは送ってもこないし、この話題はすっかりTVなどでは言われなくなっている。)だが、もう少し早く検査を使っていれば、もっと感染を抑えられたではないのか。

緊急事態宣言の5月末に向けての延長とともに、「出口」という言葉が使われるようになり、大阪府吉村知事は「出口」を数値で示している。とても解りようと思う。ゴールのない努力は何をするにしても捗らない。では、是非この目標設定に加えて、社会のどの部分が以前の状態に段階的に戻りうるのか、検査実施による統計的な判断もセットで提示してほしい。

 


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