隠れキリシタンの里を訪ねて 20200519

堀 剛

大阪の茨木インターを降りて、ナビに連れられて行ったのは茨木市立キリシタン遺物史料館である。車がやっと一台通ることができる山中の細道を登り詰めると、高槻城主・高山右近が活躍した時代ににキリシタンの村落があった場所に入る。

今も昔風の屋敷が何軒もあり、隠れキリシタンの末裔の方の家もある。そしてキリシタン遺物資料館がある。地区の人々のもちまわりで管理され、受け付けて下さった方も末裔のお一人とのことであった。親切な説明をしていただき、まずは約30分間のDVDを見せてもらった。

いったいどのようにして、こんな山奥にまでキリスト教が伝来したのか、そして、キリシタンの家屋の屋根裏に密かに隠された木製のキリスト十字架像の由来など、DVDでは詳しく説明されている。中学・高校の教科書にも紹介されている有名なフランシスコ・ザビエルの絵が、実はこの山村で発見されたものであることを知らされた。

かつて先祖が隠れキリシタンであった家では、キリスト教関連の品々を隠し持ち長男にのみ語り継いだという。明治になって研究者が訪ねたが、最初は人々は重い口を開くことはなかった。だが、やがてその全貌が明らかにされた。展示された品々はどれも迫害の歳月を超えて来たものばかりである。

三つの墓石がキリシタン墓地から運ばれ、展示されている。既に歳月が墓跡の文字を読みづらくさせているが、見れば、迫害の中で密かに信仰を貫いた人の意志がぼんやりと文字として浮かび上がるかのようである。刻まれているのは「千」という文字である。「千」の文字はイエズス会の紋章であり、クロス(十字架)を意味したそうだ。

この資料館は茨木市千提寺262にある。高山右近時代に千堤寺村という地名が付されたそうである。しかし、「千提寺(せんだいじ)」という寺は存在しない。「千提寺」の「千」は十字架を意味し、「提」は「てい」とも読めるので、ラテン語やポルトガル語のデウス(Deus、神)を「てい」と語呂合わせしたという説もあるようだ。そうだとすれば、当時、「寺」とは教会のことであり、「千提寺」の地名はキリシタンの礼拝所があることがわかる。

様々な思いをはせながら、気になったのは隠れキリシタンの信仰内容である。迫害に耐えた隠れキリシタンは、時代の権力にまったく寄りかかることなく生きた。迫害下での日本のキリシタンの信仰は、社会的には隠遁の道を突き進んだのだろう。

フランシスコ・ザビエル来日は1549年であり、高山右近が10歳で洗礼を受けたのは1563年であった。豊臣秀吉によるキリシタン禁教令は1587年7月25日に発布された。この頃、欧米では既に宗教改革期を迎えていたが、教会と国家の政教分離を唱えた再洗礼派(アナ・バプティスト派)の迫害の時代もその頃に始まっていた。やがて、彼らはスイスからオランダ、アメリカへと移住した。それは隠遁の道でもあった。

日本で起こったキリシタン迫害は、西洋の宗教改革期の再洗礼派等への迫害とも興味深い共通性、同時性を感じさせられる。時代的に概ね近いというのではなく、それらはどちらも信仰と権力(国家)との関係の中で起こったという共通点を持っている。当時の再洗礼派も日本の隠れキリシタンも共に隠遁の道を歩んだ。

日本ではキリシタン禁教令以降、その信仰はこの世の何ものにも寄りかからずに歩まざるをえないものとなったと思う。迫害によって信仰は権力い迎合するどころか、拒絶の道を選んだと思う。結果的に、キリシタンの信仰は社会から遊離し、ひたすら彼らの信仰における神への追従の道を歩んだ。これは為政者にとっては、人の心、信仰を支配することはできないという事実を突きつけたであろう。

キリシタン信仰は領主の改宗に民衆が倣ったことで広がったという側面もあったらしい。しかし誰かに押し付けられたものというよりは、彼らは自ら既存の仏教や神道に救いを見出すことができずにいた人々であったと思わざるをえない。いかなる権力にも屈服せず、依拠しない、独自な信仰を維持したと言えよう。

当時、壮大な仏閣などが日本のあちこちにあったはずだ。だが、それらを横目に、キリシタンはもっと異なるものを求めたのだろう。彼らの魂の寄りどころは隠れた場所で見出されるしか、他に生きるすべがなかったのだろう。

だが、そこまでして何が求められたのか。あるいは殉教してまでも主張を貫いたのはどうしてなのか。私は強い信仰によるものというだけの話では、どうも分かった気になれない。彼らにとっての現実社会とかけ離れた信仰世界とは何であったのか。そこにはどのようなイメージが存在したのだろう。

人間、誰しも死んでしまっては終わりだ。いくら信仰を持っていると言っても、死んでしまえばその信仰への意識も終わる。とりあえず、科学的にはそういう話だ。しかし、殉教者は違う。死んだ先があると信じているので、信仰の世界はこの世で死んだくらいでは終わらない。だから、この世では死んでも、それ以上の価値を見出しうる世界があるということになる。

だが、見方を変えると、そのような殉教的な信仰世界を生み出すのも権力の結果である。権力というものは人間をそこまで追いつめると言い換えることもできる。(とは言え、それでみんなが死んだのでは年貢(税金)も入ってこない。だから、現代社会は宗教に関しては、生かさず殺さずということなのだろう。)

以下まったくの私論であるが、隠れキリシタンの人々の遺品の中に大きなアワビの貝殻があるそうだ。彼らはそこに水を入れて、瞑想したらしい。そうだとすれば、彼らの宗教では心理変容の世界をしっかりと取り入れていたのだと思う。いわゆる無意識の世界との対話である。このようなものは多分、宗教の原点として多くの宗教が持ち合わせていたと思うが、それらは現代ではあまり積極的に重視されているように思えない。だが、キリシタンはおそらく殉教においてすら、心理的変容の中に自らを置くすべを心得ていたのではないだろうか。そうでなければ、信仰が強いというだけで死罪の恐怖には打ち勝てなかったと思う。

心理変容は彼らの独自な礼拝においても起こりえただろう。彼らが歌い継いだ「歌オラショ」もまた心理変容へと入る道具であっただと思う。 

方法や形態はどうあれ、思想や信仰を守り抜くことは自分を自分らしく生きることである。その意味では隠遁の道を歩み、時には殉教を遂げた人々の存在には、私にとっては不思議な親近感すら感じてしまう。

20200519

 


Warning: sprintf(): Too few arguments in /export/sd209/www/jp/r/e/gmoserver/3/2/sd0420532/poesy.blog/wordpress-5.3.1-ja-jetpack_webfont-undernavicontrol/wp-content/themes/lineday/library/underscores/template-tags.php on line 26