記憶と死

    堀 剛

記憶の総体とは、一個の私であるとしたならば、死とは
更なる私の内部へと吸収される現象であるのかも知れない。
記憶とは私の内部的表象である。それはほとんど私の行為
と呼ばれるべきであり、ただ、吸収されることであるばか
りか、世界を私の内部へと完全に引寄せる行為なのかも知
れない。
いずれにせよ、私の記憶とは私のことであり、私の内部
は私の内部のみに向かって収縮し、私は外部への形をとど
めないのだとすれば、「無から有は生じない」と考えられ
るように、「有から無へは至れない」と言うことは出来な
いらしいのだ。すると、私はどこへいくのだろうか。僅か
な時の連なりですら、断ち切られる死の向こうに於いて、
私について記憶しない風景ばかりが見え始める時に、私の
叫びですら、聞くことはないのだとすれば。


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